#03
からっぽ
Empty
洗濯のし過ぎですっかり首元のへたった白いTシャツには、「Go To Hell」とプリントされていた。アメリカのとあるロックバンドが十年前に来日公演を行ったとき、会場で買った。ペンで書き殴ったような乱暴な筆記体ゆえ、今までちっとも気づかなかったが、それはよくよく読んでみれば、地獄へ落ちろ、という物騒なメッセージなのだった。
寺の境内は日差しがきついので、黒や濃色よりは白のほうがましかと物干しのハンガーにかかっていたのを適当に引き抜いて着たのだが、さすがに墓参りでこのTシャツはないだろう。
本堂の階段に庇の影が伸びている。俺はその上段に腰かけ、まるで都会のビル群のような墓地を見下ろしながら、あれからもう十年経つのかと、それほど感慨深くもない感じに思った。あのライブは確か、まだニートのような暮らしをしていたころだ。それでも新幹線で東京まで駆けつけ、ライブの後は東京に住む友人と酒を飲み、都内のホテルに泊まった。チケット代も含めて、八万くらい使ったのではなかったか。仕事もなかったくせに。
墓地の片隅には、親父の墓がある。その傍らにつま先立ちで立ち、てっぺんに柄杓で水をかけている背の低い女が俺の妻だ。
地獄へ落ちろと書かれたTシャツに短パン、ビーチサンダルという脱力感に充ち満ちたスタイルの俺とは対照的に、妻はこの夏に買ったばかりのベージュの花柄のワンピースをきちんと着て、パンプスを履き、汗で落ちないよう出発前はメイクにも時間をかけていた。
墓参りをして、実家に寄って仏壇に線香を上げ、出前のラーメンを食べて、あとは帰るだけという毎年変わらぬ庶民スタイルのこの恒例行事に気取るべき要素などまったくないのだが、妻にとって嫁ぎ先の盆というのは、何かこう、襟を正して向き合うべきものらしい。
妻の横で四歳になる息子が手を伸ばして何かをせがんでいる。柄杓で巨大な石に水をかける、という行為が面白いのか、自分にもやらせろと主張しているようだ。妻は息子に柄杓を渡すと、今度は持参したビニール袋からたわしを取り出して、墓石の苔や汚れを落としはじめた。息子が乱暴に柄杓を振り回し、光の粒のような水滴が妻の服を濡らす。妻が振り返って注意する。
俺はその様子をぼんやりと見下ろしながら、住職がやってくる順番を待っている。
親父の享年は七二歳だから、俺はちょうどその半分を生きていることになる。
とはいえ、その人生の内容はまるで違う。
三六歳のときに勤めていた工務店を辞め、独立して不動産仲介の会社をはじめた親父は、その後のバブル景気の波に乗って次々事業を拡張し、従業員をどんどん雇い入れて会社を大きくしていった。
俺が物心ついた頃には、道を歩けばいたるところに「パパの駐車場」や「パパのアパート」があり、貸し看板や売り看板など、自分の名字がロゴマークとなって町中にあふれていた。それは子どもなりに誇らしいことではあったが、同時に俺は、言葉にできない気持ちの悪さも感じていた。
俺はときどき見知らぬ大人から「ぼっちゃん」と呼ばれ、親父の会社の従業員からも「亮介さん」などとさん付けでうやうやしく扱われていた。盆暮れには俺の好みの菓子やデザートが、中元や歳暮ののしをかけられてたくさん届けられた。欲しい玩具で買ってもらえないものはなかった。当時流行っていたトレーディングカードは、同級生の誰よりも多く保有していた。
でも、俺には親父と一緒に遊んだ記憶など一切ない。
そもそも滅多に自宅にいない人だったし、家にいても書斎にこもるか、いかつい顔とドスの利いた声でいつも誰かと電話をしていた。
当然、学校行事に顔を出すこともない。一度だけ、小学二年のとき運動会を見に来たことがあるにはあったが、会社の部下にグラウンドの場所取りとビデオ係を押しつけ、俺の出場する徒競走が終わるや、最後まで行事を見届けずにタクシーを呼びつけて帰ってしまう、そんな親だった。
俺は親父が嫌いだった。たばこ臭くて、顔が黒くて肌がぼこぼこで、いつも難しい表情をして、母親(親父の妻)にもお祖母ちゃん(親父の母親)にも傲慢な態度をとって、文句ばかり言って、よくわからない仕事の話しかしない。
出張、会議、契約、工期、ゼネコン、接待、金利、愛人、別宅、転売、競売。みんな、俺が小学生のうちに覚えた言葉だ。
あの親父が父親でなかったら、と俺はいつも思っていた。
一緒に風呂に入って、ときどきレストランで外食して、週末は釣りやキャンプに出かけ、夏休みは毎年家族みんなで旅行する。そんな、当時売れていたミニバンのコマーシャルみたいな親子関係に、俺はずっと憧れていた。
どうやら、俺は一般庶民というものではないらしい。そのことがコンプレックスだった。今考えてみれば、所詮はただの地方都市のぽっと出のプチ成金であって、宝くじの当たった一般庶民みたいなものなのだが、まるで自分の家が名家であるかのような勘違いをさせられていた。
どう考えても、働き過ぎだったと思う。親父は六〇を過ぎた途端に身体を壊して入退院を繰り返すようになり、会社の経営をひとに任せて事実上引退すると、あとはなし崩し的に気力を失い、最後は実家でほとんど寝たきりだった。
親父が死んだとき、俺はほっとした。これでもう、母親がつらい思いをしなくて済む。結婚をしても妻となる女に介護をさせなくて済む。いずれ生まれてくるだろう子どもは、普通の家の子どもとして普通に育ててやることができる。そして俺自身も、もう親父と比較されずに済む。納骨が済んだときには、爽快感すらあった。
妻は墓石を磨き終わると、用意した墓花と朱色のろうそくを正面に立て、わざわざ途中でコンビニに寄って買ってきた(一度、親父が好きでよく飲んでいたと言ったら、それから毎年用意するようになった)アサヒスーパードライの350ml缶を供えた。几帳面に、ラベルが前を向くように角度を正して。
最後に墓石に向かって手を合わせる妻の動作を、そばで息子が真似ている。キリスト教系の幼稚園に通っている息子は、この儀式をどのように理解しているのだろうとふと思う。理解も何もないか。子どもは、ただ大人の決めたことを受け入れるだけだ。そして、大きさの違う相似形をつくるように、だんだんと親によく似た自分をかたちづくっていく。親の影響を受けないなどということはおそらく、あり得ない。
土地だ、利息だ、契約だ、接待だ。
俺はそんな仕事だけはしたくなかった。大学時代の就職活動では、当然、不動産関連など目もくれず、クリエイティブ系と呼ばれる分野の企業、新聞社や放送局、出版社、制作会社に片っ端からエントリーした。しかし、どの企業も最終面接まではたどりつけなかった。結局、卒業ぎりぎりになって、大学の先輩の紹介で小さなデザイン事務所に、滑り込むように就職を決めた。
その報告をしたとき、親父は露骨に眉をひそめた。
「お前、馬鹿か。そんなとこで何すんだ」
でも俺自身は自分の選んだ道に満足していた。
デザインの勉強をして、将来はデザイナーになる。親父の理解できない世界で成功する。それは、クリエイティブとは正反対の分野で成功した親父に対するあてつけとして、ベストの選択とさえ思えた。その脂ぎったイボだらけの鼻面に、不意のカウンターパンチを見舞ってやる。そんな気分だった。
しかし残念なことに、俺にはデザインのセンスがなかった。
上司であるアートディレクターの、「こんな感じ」「こういうテイストで」「○○系でいこう」という指示が、まったく理解できなかった。画像やデザインを処理するソフトを覚えるのにも時間がかかった。クリエイティブという世界は、共通言語を感覚的に理解することと、なによりスピードが求められた。
それでも一応、デザイナー志望ということで一年間は制作の部署で夜中まで毎日残業した。役に立たないながらも、必死で食らいついていた。しかし翌年の春に新人が入ってくると、あっけなく営業にまわされた。
最終的には、売上だ、接待だ、契約だ、という誰かと同じような仕事に、それも最下層の扱いで追い回される羽目になった。そのデザイン事務所は二年で辞めた。
それから中学時代の同級生に誘われて、その友人の父親が経営する文具メーカーに就職し、商品開発の部署で三年働いた。
悪い職場ではなかった。小さな会社だったが他の社員はよい人が多かったし、給料もそれなりだった。ただ、仕事そのものがつまらなかった。商品開発部に所属する俺以外の社員は年齢層が高く、俺のアイディアはことごとく理解されなかった。企画が通っても、じゃあ売れたかといえば、まったく売れなかった。いくら働いても会社から求められるような成果を上げることができないので、ここは自分の能力を発揮できる職場ではないと思いはじめ、友人には悪いと思ったが自分から辞めた。
その後は二年半ほど、仕事をせずに暮らした。
親父の会社の管理するマンションの一室を、体調を崩した父に隠れてこっそり母から融通してもらうかたちで与えられ、貯金を切り崩しつつ、ときどきアルバイトのようなことをしては食費程度の金額を稼いで生きていた。ニートに限りなく近かった。
それでも普通に車を乗り回していたし、見栄を張っていい服を着ていた。女とデートするときは財布にいつも数万を用意していたし飯もおごった。好きなバンドが来日すれば、東京だ大阪だと遠くまで聴きに行く余裕があった。
結局は親父の手のひらの上で生きていた。ただそのことを認めたくなくて、俺はクリエイティブに生きることにこだわった。
ときどき思いついたようにネットや雑誌で職探しをしては、打ち込みのカラオケ音源を作る仕事をしたり、タウン誌のどうでもよい提灯記事を書く仕事もした。カメラマンのアシスタントもやった。デザイン事務所の経験をなんとか生かして、Macで画像を切り抜くオペーレーター仕事もやった。しかしどれも、いつまでも長期で続けられるような仕事ではなかった。
三〇を過ぎて、ようやく職業安定所に足を運ぶようになり、今はそこで紹介された食品メーカーの工場の倉庫で働いている。最初は契約社員だったが、一年真面目に勤務して正社員として採用してもらった。
俺の仕事は、日々生産され、右から左へと流されていく商品の在庫を管理すること。数字が合っているか。不良品はないか。倉庫の環境は適切な温度と湿度に保たれているか。守るべき決まりを守り、不具合や突発的なアクシデントが起こったらチームで都度対応する。
どんな仕事にも、誇りはあると思う。ビルが一棟あれば、そのビルのオーナーにはオーナーの、ビルダーにはビルダーの、テナントにはテナントの、掃除係には掃除係の、駐車場の守衛さんには駐車場の守衛さんなりの、それぞれの仕事に対する誇りや、やり甲斐や、何かしら、背骨を伸ばして取り組むための支えのようなものがある。もちろん、俺にもある。俺の仕事は、世の中の流通や人々の健康や、安心な食生活のためにある。
ただ、それを強がりと言ってしまえば、正真正銘、ただの強がりだ。プライドも、誇りも、やり甲斐も、どうせ自分の存在価値と自分の仕事を誰かに認めさせ、自分自身で肯定するための、単なる言葉遊びでしかない。
俺は、仕事を楽しいと感じたことなんて一度もない。
毎日険しい顔をしていても、どんなに忙しくても、親父は楽しそうに働いていたと思う。会社の規模を拡大し、自分の影響力をより強力にすること。そしてそれが実際に自分の力でできること。それが親父の喜びだったのだろう。生き甲斐が、仕事だったのだろう。そりゃあ、楽しいだろうよ。やり甲斐、あるだろうよ。世間に認められりゃ、いい気になるだろうよ。夢もたくさん見るだろうよ。
俺は親父と同じ世界で生きたくなかった。
実際に、まったく違う世界で生きている。ただそれは、まったく別の業界、という俺が考えていた本来の意味での「違う世界」はなく、結果的には、勝ち組と負け組という、思っていたのとは違う意味での話にいつのまにかすり替わってしまった。
親父が成功者なら、俺は落伍者だ。親父が搾取する側なら、俺は搾取される側だ。親父が上から見下ろす人間なら、俺は下を這いつくばる人間だ。
息子が墓石のあいだをぬって、俺のところに走ってくる。
日に灼けた顔が、汗でぬらぬらと光を反射している。日陰に入ると、安心したようにニタッと笑う。
「どうした」
「あついんだもん」
「そっか」
「ゆーちゅーぶ」
息子の小さな指が、俺のポケットのスマホをさす。
「お寺さんが来るまでだぞ」
パスコードでロックを解除してスマホを渡してやると、息子は慣れた手つきでYouTubeのアプリを起動し、閲覧履歴から自分の見たい動画を再生した。
俺はスマホ育児のダメ親だが、そもそもの出自からして、家庭を一切顧みないような父親の息子であるわけだから、それも致し方なしとあきらめている。というか、スマホ育児のダメ親なんて、いかにも普通の親っぽくていいじゃないか。
妻もここで休んでいればいいと思うが、指をさして、こっちくる?と口を大袈裟に動かしても、首を振って墓の前から動かない。きっと住職がやってきたときに、墓のそばにいないと失礼だとでも考えているのだろう。ここの寺だって結局は商売なのだから、日陰でのんびり待っていれば住職の方から声をかけてくるというのに(俺は子どものときからこの寺に来ているので、どんな住職かをよく知っている。ちなみに、檀家から集めた寺の補修積立金の一部で余った土地に立体駐車場を建て、その売上でタワーマンションに年の離れた愛人を囲っている)。
妻とは今の職場で知り合った。一年付き合って、結婚した。
彼女は県外で生まれ育った人間なので、俺の実家がこの地域ではそれなりに名のある不動産屋の息子だということは、まったく知らなかった。婚約するまで俺も伝えなかった。実家の資産を知って目を丸くしたのは、つい最近のことだ。
でもそれ以前から、妻は今日と同じように、俺の親父(と父方の祖父母)の眠る墓にいつも礼儀正しく、時間をかけて手を合わせてくれていた。きっと俺がどんな家で生まれようと、彼女にとっては何の問題でもない。YouTubeの動画でけらけらと笑っている息子にとっても、それは同じことだ。そのことが、今の俺には、貴く、かけがえのないことに思える。
親父。俺にはもうそれしかないよ。
三六年生きてきて、結局それだけだ。仕事もできない、金もろくに稼げない、夢もない、偉くもない。からっぽだ。負けたよ。親父の息子として、期待をもたせたことがあったなら、悪かったと思う。謝る。親父に反抗することばかり考えて、親孝行なんてなにひとつしなかった。親孝行をするなんて発想もなかった。俺はきっと、ずっと、このままからっぽのまま生きていくんだと思う。地獄へ落ちろなんてTシャツで墓参りに来て、かたちだけ手を合わせて、何も考えずに生きていくんだ。今の俺の歳だったときの親父は、楽しかっただろ。働いて、稼いで、楽しかったんだろ。いいよな、うらやましいよ。
遠くの空にもこもこと立ちのぼる夏の雲を眺めながら、俺は大きな息をひとつ吐いた。ため息や舌打ち。無意識に口から音を発しそれに気をとめなくなると、それは男がおっさんと呼ばれる年齢になった証拠だと、会社の納涼会のときにバイトの女の子が言っていたっけ。
親父の遺産はほとんど母が相続したが、一部は俺の名義にもなっている(そのときの相続税はいつのまにか誰かが用意していてくれていた)。会社はもう俺の血縁とは関係のない人たちが動かしているが、それでも会社が倒産しない限りは、毎年一定の金額が母と俺に支払われる仕組みになっている。株券など見たこともないが、俺は株主と呼ばれる立場にもあるらしい。
俺はきっと、今の仕事を続ける必要などないのだ。でも、誰もそのことを口にしない。俺はただ勝手に見守られている。実に情けない話だと思う。せめて、生命保険でもかけようかと思う。もしも俺がある日突然、交通事故や病気で命を落としても、親父のではなく「俺の遺産」が妻と息子に苦労をさせないために。
息子がTシャツの裾を引っ張った。
振り向くと、めーる、と言って、動画再生中のスマホを差し出してくる。「着信音が鳴ったらどんなときでも、ちゃんとパパにスマホを返すこと」と約束しているので、彼は律儀にそれを守る。この素直さはもちろん俺譲りではない。妻の遺伝子だ。
親というものは自分の遺伝子を残すことに喜びを感じると思われがちだが、むしろ、俺は自分の遺伝子が書き換えられて失われることこそ、喜ばしい。俺に似て、でも俺とは違う。そんな息子が愛おしくて仕方がない。
見ると、メールアプリのアイコンに、新着メールを知らせるバッチがついていた。開くと差出人の欄には親父の名が表示されている。
俺は鼻をふんと鳴らす。アプリの誤作動か(登録しているメモリとの照合で何らかのバグが生じたのだろう)、誰かのたちの悪いいたずらか(親父は仕事柄、敵も多かったので、以前は遺産を狙って俺や母親宛にちょっとした脅迫状のようなものが届いたこともある)、あるいは電話帳を勝手にスキャンしたウイルスが送ってきたか。惰性で指を動かし、メールを開くと、
〈腐った顔をするな、ばか〉
あまりにいきなりな文面で面食らった。
〈何がからっぽだ。格好つけんな〉
心のなかを透かし見られていることに、ざわと鳥肌が立つ。
〈俺だってからっぽだった。七二まで生きて死んだけど、七二でもまだからっぽのままだった。俺が仕事で成功したのは、ただのラッキーだよ。時代がよかっただけだ。世の中が狂ってたんだ。そんなこともわからないのか、お前。少しは勉強しろ〉
目に入る言葉が、親父の声になって耳に届く。
画面から視線を外してあたりを見渡すが、息子が不思議そうな顔で俺を見上げているだけで、あとはなにも変わらぬ静かな夏の境内だ。蝉の鳴く音が、青空を覆い隠すように響いている。
〈男なんてのはいつもからっぽなんだ。それで、ただ生きて死んでいくだけ。そんなもんだ。夢だとか成功だとか、そんなもん中を覗けばみんなからっぽ。空洞だよ。飛行機に乗って雲の中を見たことがあるだろう。水蒸気の粒が窓を濡らすだけ。あれと一緒だ。だいたい、人生がからっぽなら、悩みもからっぽでいいだろう。そんな腐った顔してるからつまらねんだ。騙されたと思って楽しくやれ。そのうち、楽しくなるから。仕事なんてもんはなんだっていいんだ。やりたくなければやらなきゃいい。でも、せっかく生きてんだ。楽しくやれよ。なあ、つまんねえ人生なんてつまんねえよ。そんなことより、お前も墓磨け、ばか〉
「はい、どうもすいませんねえ」
背後から突然声をかけられて、身体がびくんと反応する。振り向くと住職が禿頭の汗をぬぐいながら本堂から出てくる。
「暑いなかお待たせしちゃって、申し訳ない」
「いえ、どうもすいません、よろしくお願いします」
息子の手をつなぎ、階段を降りる。墓の前にくると妻は待ちくたびれた様子など見せず笑顔で住職に頭を下げ、チャッカマンを取り出してろうそくに火をつけた。
読経がはじまると、俺は息子を妻のそばに押しやって、こっそりとスマホのメール画面を覗いた。しかし、親父のメールがどこにもない。スマホを慌ててポケットにつっこんだときに誤操作で消してしまったか。いや、どこにも触れていないはずなのだが。
妻は住職の後ろで手を合わせて目をとじ、その尻に隠れるようにして、息子も同じ動作をまねている。俺も手を合わせ、目をつむる。
親父もからっぽだったのか。
そんな気持でずっと生きてたのか。
人生が楽しそうに見えたのは、見せていたからなのか。
悪かったよ。これ、俺の息子。あんたの孫。よろしく。
俺、あんたより長生きするよ。そこだけは、勝つよ。
読経が終わると、住職は慣れた手つきでお布施を受け取り、いつもの年と同じように息子の年齢をたずねたあと、妻と世間話を交わした。それから俺のTシャツを見て、にやりと笑った。
「先月出たアルバム、もうお求めになられましたか」
何を言われているのかわからずに、へ、と俺は間抜けな声をもらし、それから、あぁ、とすぐに理解する。
「え、ご住職も聴かれるんですか」
「なかなかいいですよ。前作よりエレクトロな感じですね。まあ、私はこういう職業ですのでその手のTシャツは着られませんけどね。そのシャツの頃の、初期のアルバムが好きでしたね。まだベースの彼、何といいましたかな、黒人の方、ウィリアムなんとかさん、が脱退される前ですね」
俺はすいません、本当にすいません、と場違いなスタイリングを本気で謝りながら、水着の紐が外れたグラビアアイドルのように両手で胸のプリントを隠した。その姿が可笑しかったのか、住職は声を上げて笑い、わけのわからぬ妻と息子も合わせたように笑い出す。俺も笑う。笑うと、なぜか身体の内側によろこびのようなものが満ちてくるから不思議だ。一瞬、親父の笑顔を思い出した。
■
印刷用またはiBookなどでの閲覧用に、縦書きPDFをダウンロードすることが可能です。<PDF>
作・藤田雅史 ラジオドラマ版放送日2017年8月15日<LISTEN>
※本サイトで発表された作品のすべての権利は著者本人に帰属します。